雑更新ブログ

書いては消したり 

昨日の深夜書いた怪文書供養

今年の総括として自分の人生がどう変わったかをつらつらと書こうとしたが、「アニメを見始めた」のところから突然テンションが豹変しアニメ語りになってしまった怪文書を供養する 若干個人情報であるが・・・・・

今年 総括

勉強をし始めた一年だったというか、人生でここまで勉強をちゃんとやったのは初めてかもしれない。小学生のときはぶっちゃけ勉強している内容に関心もなかったし、普通に簡単な内容しかやってなかった、愛光はちょろくてもラ・サール落ちる程度の勉強しかしてなかったので今年のほうがちゃんと勉強している。しかし中高と本当に大して勉強していない人間が急に高い目標(阪大)を掲げて勉強すると、かけた労力に対して、自分が目標の実現に近づいているという実感が小さすぎるという現象が起きる。ある程度の上澄みの中での競争が起こっている場所、わかりやすく言えば阪大冠模試とかに俺が入って行っても偏差値50行かないのだ・・・英語は60くらいなら軽く行くのが憎たらしいのだが。しかしもとから持っている能力である英語でなくても自分で勉強した化学とかが割りとちゃんとできるようになったのは気持ちが良かった。生得に頼っていないというか完全にこれは俺一人の力だ、という実感を人生で久々に得た。この感触は俺に欠落した部分であったのだ。英語ができることを褒められたところで、俺は小学生の時にはハリポタの原書くらい読めたのだ。親の英語教育がなんかうまく行ってしまったみたいなだけのお話である。そんなもの褒められても自分が自力で手に入れてきたものに対する評価との差を指摘されているようにすら感じた。俺はたまたま変なところで恵まれただけだよなぁ・・・中学お受験も同じだよな・・・としかならなかった。だからこの感触を不満足ながらにも手に入れることができたのは人生としての前進だったように思う。

音楽に対する関心が、薄れていった。昔は一日一時間くらいは音楽を聞いていたように思う。作曲もやっていた。褒めてくれる人も少しだけいたのだ。でも作曲もしなくなったし音楽も聞かなくなった。昔ほど時間がない。歌詞の付いた歌は勉強中に聴けない。俺は歌詞付きの歌とかは本当に、気が散る。そのせいだ。今思えば俺は暇だったのだ。大して友達がいるわけでもなく、そもそも長時間のコミュニケーションは耐えられなかった。中3から音楽にこり始めた。最初はヨルシカとかだったが段々凛として時雨とかcabsとか笹川真生とか・・・そういう音楽に傾いていった。少し前に気づいたことだが、俺は凛として時雨という、もし路上でライブでもしようなら眉唾ものとして扱われるであろう音楽と社会に馴染めない自分を重ねていたのだ。俺はアイデンティティの防衛作業として音楽を聞いていたのかもしれない。今でも他人に対する恐怖、押しつぶされそうな恐怖を感じる時にStill a Sigure virgin?とか聞くと落ち着く。よくわからない音楽、音楽に限らないが、いわゆる大衆受けがそこまで良くないものというのは世界を拒絶することを肯定してくれる。そんな気がする。だから俺は「自分が理解できる範囲で変わっているもの」を好むんだと思う。本当に理解できないものには興味がわかない。程よく難しそうなものがいいのだ。なんか頭良さそうだしな。程よく複雑な音楽聞いてると。!

アニメに対する関心が強まった!絵が動くというのが根本的に気持ちがいいことにようやく気づき、今年は実写の作品は本当に数えるほども見なかった。顔面dアニメストアのオタクの爆誕である。しかしそもそもなろう原作はタイトルが惹かれないのでここ2,3年のやつは殆ど見ていない・・・もっぱらガンダムプリキュアを見た。といっても見たガンダムはSEED無印だけである。種死は記憶から抹消した。水星も終盤がアレだったのでノーカンである。Gレコも一昨日完走した。 種無印は舞い降りる剣あたりで「ん、、、?」が発生し視聴モチベーションが死にかけたが終盤のめちゃくちゃっぷりを見るにこういうアニメなんだ、と飲み込むことで無事完走を果たした。もう少し全体的に火を通してくれればもっと積極的に話題に出したくなるアニメになったろうに若干火力をチキったっぽい。細かい部分は忘れて流すのが良いアニメだった。全体としては割りとよく出来てるというか、ちゃんと当初の脚本通りにやったんだろうな、という感じだ、と書くと自然と種死ヘイトに向かってしまうが・・・ 確かに種死と比べれば大抵のアニメは面白いが無印の良さはそれ以上に確かにあった。閃光の刻、といういかにもガンダムらしい前半の大詰め回があるのだが、そこに向けてのボルテージの上げ方がしっかりしていて本当によくできていた。あれだけゆっくりと時間をかけてキラとアスランの関係を破壊したのに修復するのは2話くらいでやるもんだから驚いた。50話あるんだから和解は48話とかで十分だろ。閃光の刻は30話とかである。40話前には和解してた気がするし、そこは不満点だった。。。 Gレコの話も早いとこ書いておくか。初見時は癖の強いメカデザイン(しかも微妙にキャッチーさやまとまりに欠ける)と異常な台詞回しなどの異常な富野演出に拒否反応を起こし何度も離脱を繰り返していたが、Gセルフのデザインへの拒否感も弱まったので劇場版をゆっくり視聴した。富野由悠季の劇場アニメはツッコミ不在のボケ倒しみたいな映画が多い(逆シャアだけのn=1印象)ので途中までは知らんVtuberの同時視聴アーカイブを裏で流しながら見た。こうしないと自分が正気を保った人間だと忘れそうになってしまうのだ。まあ死ぬほど言われていることだがあらすじを把握するだけでも一苦労の糞アニメである。大筋をもっとはっきりとさせて地球圏のゴタゴタははやく終わらせたほうが大衆受けは絶対いいと思った。実際話の中心となる戦艦が宇宙に出たあとはすぐ面白くなるのだ。4は面白いという意味である。男女関係を追いかけて見る見方なら多分2,3とかもそこそこ面白い。ただ富野アニメの集大成みたいな面してる割には、フォトン・バッテリーや水の玉といった明らかにある程度のディテールが用意されていたはずの設定が軒並み死んでいたりするのはいただけなかった。まあ水の玉は作画コストがジブリ並というか、本当にジブリ映画に出てきそうなものだったので使いにくかったのは仕方ないとは思う。

今年はプリキュアにハマった。酷い話である。受験生が学校サボって平日の昼間からプリキュアの映画見に行っていたのだ。我ながら生きていて恥ずかしいが好きになってしまったものは仕方がない。むしろ自分の愛に不誠実なやつのほうがよっぽど生きていて恥ずかしいやつだろう。痛い冗談はこの辺にして見た作品について淡々と綴ろうと思う。 まずはデリシャスパーティプリキュアである。。。これを語らなければ何も始まらない。今年の青いプリキュアが可愛いな、が俺のプリキュア視聴の最初のきっかけである。まあ本編視聴後はプレシャス推しになっていたわけだが・・・とにかくキャラデザが良く、登場人物はもれなく可愛い。大して可愛くないのはレシピッピとウバウゾーくらいのものだ。作品全体としても押し付けがましさがない。「食べる喜び」をテーマに据え共感しやすい物語を展開していたし、プリキュア達の味方をするキャラには男子中学生もオカマもおっさんもいる。そういうフラットさが作品全体を通して感じられたのは良かった。これは俺がポリコレ厨とか、そういうことを指してるんじゃなくて、シンプルにワチャワチャしていて楽しい雰囲気が作品全体から出ていた、ということだ。そのくせ終盤戦では主人公のスタンスを全否定し、鋭い言葉で彼女の歪みを指摘するものだからたまげた。そこから立ち直る段階にストーリー全体を貫くものがちゃんと作用するから話としてのまとまりも普通に良い。この作品を貶す人が結構いることに驚く。まあ作画コスト省略のために毎回メタフィールド展開するし、全体的に低コスト感が漂っていたのは割と事実だが個人的には気に入った作品だった。食をテーマにしつつも生産者に感謝しろ!とか説教くさいこと言わなかったのもめちゃくちゃ偉い。俺はプリキュアがじゃがいも掘る回とかあったら速攻視聴離脱しようと思っていたのだが、そういうのは意外にもなかった。「食べる喜び」にあくまでフォーカスしたのが嬉しかった。 ここからは完走した作品がない。ひろプリは現行なので当たり前だが一番見進めているスマイルですら完走はしていない。時間がないのも理由の一つだが、別にすべてのプリキュアが好きなわけではないのだ。そもそも作品ごとの差別化を意図したリニューアルを毎年しているシリーズなので絵柄も話の質感もひとつひとつ全く違うのだ。実際、現行のひろプリはかなり好きだが来年のプリキュアが刺さるかどうかは別問題だな、と感じている。ここまで完走をしていない言い訳を並べたが、縦軸の無いシリーズを見続けるのは結構怠い。それがぶっちゃけたプリキュアに対する実感だ、、、 ひろプリは本当に最初の5話に良さが詰まっている。はっきり言ってしまえばソラましなのだ。。。。。この作品の良さは。つばさ・あげは・エルが噛んで割りとちゃんと味出るので耐えただけで一歩間違えたらスタプリになっていた可能性すらある。ネガティブな意見を初っ端からカマしておいてからなんだが、今年一番金を落としたコンテンツがひろプリだと思う。アクリルアートボードも購入した。普通にソラハレワタール沼にどっぷりだ。彼女の良さは発展途上感にある・・・彼女の(変身後の)髪は全体的に水色だが毛先がピンク色になっている、これは明らかに夕暮れ時の空のグラデーションを示唆している。あの時間帯はよくマジックアワーなどと呼ばれているが、本当に少し目を離しただけで表情を大きく変えているのがマジックアワーの空模様である。序盤のソラハレワタールさんは特に視野狭窄的というか、ベリィベリーにも強い言葉であたっていたあたり、まだまだ発展途上であることを感じさせた、価値観も対人経験も根本的に成熟していない、無遠慮で他者への想像力に欠けている。彼女は自分の殻の中で「ヒーロー」という概念への強い憧れを育ててきたことが伺えるし、それは彼女の強さでもあるし弱さでもある。良くも悪くも世間の誰かに夢を笑われた経験がない。それが一話でべっきりと折られ、そこにスカイミラージュが生まれる。シリーズ最長の変身バンクを経て彼女はキュアスカイへ変身し、そしてあの伝説の(俺の中ではあのシークエンスはすでに伝説と化した。。。)シーン達に続く。完璧すぎるのだ・・・序盤が。ましろとの対比もきれいに効いているのがミソで、無個性・無趣味のましろにとって、憧れの姿が明確に存在し、世間の汚れを受けていないソラはとても眩しく映り、ソラにとってましろ視野狭窄・友達が一人もいなかったソラを「ひろがる世界」へ連れ出すキーパーソンなのである。互いが互いにとって眩しく映る存在、というあれは本当に尊いましろは序盤に「脇役」という言葉を自分に対して使うが、ソラとの出会いが作用し、自己実現の比喩として。プリキュアに自分の意思で踏み出す。そして伝説の5話である・・・初代8話に匹敵する。2人の人間の信頼というものを真摯に描いていると思う。「庇護欲」は信頼ではないのだ。プリキュアの変身ヒーロー物には珍しい特徴として、「変身後の名前で呼ぶ」というものがある。俺はウルトラマン仮面ライダーで育った人間なので初めて見たときにはかなりの違和感があった。これはプリキュアの変身はトランスフォームではなくメタモルフォーゼであることに起因すると俺は考えている、がそれは置いておいて、5話においてこの変身後名前呼びは対等な信頼の証としてのフックとして機能している。プリキュアでは結構しれっとされていた描写にも思うがこれを関係性の終着点として強調することができていてとてもいい回だったと思う。「プリキュア」は関係性の名前なのだ、という結論づけは腑に落ちる。 ひろプリ語りでもう一つやりたいのが賛否両論の紋ましである。アニメージュ特別号でも「後付」「当初の脚本にはなかった」ということが明言されているので大筋にカウントして良いのか?と思うかもしれないが個人的にはましろのキャラクターアークを完成させるには必要不可欠なフェーズだったと思う。 ましろに序盤で提示された課題は、「何者かになる」ことだった。結果的にプリキュアになることを決意したわけだが(「脇役」からの離別)次に彼女が取り掛かるのは趣味として絵本を書くことである。創作活動をするようになったのだ。さて、SNSの氾濫した現代において「何者か」になることは死活問題である。ましろの云う絵本作家になること、というのは多くの人の承認を得て何者かになることと同義であるといえるだろう。すると、ましろが絵本作家になることができるかどうかがキャラクターアークの重要なポイントになってくる。できなければこれまでの話は何だったのだと言う話である。しかしそう現実を甘く描写することにも問題があるように感じたのか、ましろの絵本作家志望回はましろの書いた絵本は特に身内以外からは評価されなかった、でも頑張るで!みたいな終わり方をした。これではなんとも消化不良というか、プリキュアになっても何者かになることはできませんでしたーで終わる。これに対するテコ入れが紋ましだったと思う。 かなり雑な退場をした紋田に「スキアヘッドからの承認を得られなかった」というバックグラウンドを与え、ましろと同じスタートラインに立たせた。そこからましろは落ち葉の絵本を書く。紋田はその内容に激怒する。誰の目も惹けず何者にもなれず、他の木(=何者か)の養分にされるだけの人生になんの意味がある。そう怒る。紋田はそういうまやかしに対して怒ったのである。しかしましろは紋田に対して「何者にもなれなくてもいい」と言う。他人に自分を値踏みさせるなと説いた。これはましろのキャラクターアークの完成を意味している。彼女は何者かになるという段階から脱したのだ。適当に作った敵幹部再会回ではないのだ・・・・・・

有機(高校化学)を詳しく 脂肪族化合物① アルコール

こんにちは〜〜 今日は脂肪族化合物の中のアルコールの話をします。

記事を書くのは初回なので一応脂肪族化合物とはなんぞや、という話もしますね

そもそも脂肪族化合物というのは
化合物を構成する炭素分子が直鎖状に結合しているやつ

すなわちアルカン・アルケン・アルキンとかのことを指します。 ベンゼン環とかのやつらではないということですね〜 



アルカン・アルケン・アルキンは正直「単結合のやつ!二重結合のやつ!三重結合のやつ!」くらいの認識は皆あると思うので省略します・・・ もしかしたらいずれまとめるかもしれません

アルコール (alcohol)


直鎖状の炭化水素のH原子を-OH(ヒドロキシ基)で置換したものを「アルコール」と呼びます

物理的性質としては、まずヒドロキシ基に極性があるので極性溶質です(なので極性溶媒に溶けますね)

また、融点がかなり高いです。これは複数のアルコール分子がウヨウヨしている状況の中を想像してもらえるといいんですが

今書いた図でごめん・・・

こんな感じで炭化水素のHとヒドロキシ基が引き合うわけですね。これがいわゆる水素結合(めちゃくちゃ固い)なのでそれを切るために必要なエネルギーも高くなり、高い沸点を持つことになるんです

反応に関しては後に回すとして、アルコールの中の分類を見ていきましょう といっても2つ分類の規則があるんですねこれがややこしい・・・簡単な方から行きましょう 

(表はHTMLのtableタグで作りました。中学生以来ですよこんなの・・・)

ヒドロキシ基の個数による分類


分類名ヒドロキシ基の数沸点(例に挙げたアルコール)
1価アルコール1個117℃(1-ブタノール)
2価アルコール2個99℃(2-ブタノール)
3価アルコール3個83℃(2-メチル-2-プロパノール)


まず名前とヒドロキシ基の数の対応を見てもらえば一目瞭然ですね、ヒドロキシ基が1つなら1価、2つなら2価です。これは付けば付くほど増える数字なのでマックス何価まで、ということはないです。

次に価数が上がるごとに沸点が上がっているのがわかるでしょうか・・・・ これは先程軽く説明したアルコール分子同士の水素結合が増えるからですね。

ヒドロキシ基の付いている場所による分類


当然ヒドロキシ基-OHは炭素原子Cにくっついているわけなのですが、その炭素原子Cが他に何個の炭化水素基Rと結合しているか?という個数で分類するのが級数分類です。正直さっきのわざわざtableで説明したやつよりもこっちのほうが遥かに重要です。 というのも、大きく反応性が違ってくるからなんです。

イメージしていただけると幸いですが、炭素には手が四本(中学生表現すぎる)なので一つ以上のヒドロキシ基と結合しつつ、マックス何個の他の炭化水素と結合できるでしょうか?3つですね。なのでアルコールの級数は3がマックスです

反応性

やっと反応の話です。わざわざ分類分けを先に説明したあたり察しているかもしれませんが、アルコールの反応は級数によって変わります、それも大きく違ってですね・・・


第一級アルコールの酸化



とりあえず変化の順番を覚えるとわかりやすいかもしれません。簡潔に言うと


「1級アルコール→アルデヒド→カルボン酸」の順番です。

アルデヒド、カルボン酸に関してはこの記事の中ではまだ説明していませんが、カルボン酸の官能基である「カルボキシ基」が酢酸のCOOHの部分というのはなんとなく知っている人もいるのではないでしょうか。

ゆーて2段階しかないのでポケモンの進化系を覚える感じですんなり覚えられると思います。1級アルコールアルデヒドカルボン酸。


視覚的にわかりやすく図を用意したかったのですが筆者のmpがそこまでないのでネットから適当な画像を拝借します。(引用元は明記させていただきます)


こんな感じですね。1段階目にHを2つ失い、2段階目でOを獲得します。


第二級アルコールの酸化



もうぶっちゃけ山は超えました。あとは簡単です。

第二級アルコールが酸化するとケトンになります。

もうこれだけですね。ケトンというのは

こういう官能基です

反応の図も載せておきます。Hを一つ失っておしまいですね。


第三級アルコールの酸化


第三級アルコールは酸化しません。

くどいですが繰り返します。

第三級アルコールは酸化しません。


というのも、第三級アルコールにおいてはヒドロキシ基がついている炭素は4本の手の内、3本を炭化水素基、残り1本をヒドロキシ基に取られている状態なので、そもそも失う水素がありません・・・なので酸化しない、ということになります。

脱水反応



ぶっちゃけもうメインの部分に関しては閉廷したのですが、まだ反応は残っています。その残った2つの内1つがこれ、脱水反応になります。

アルコールの構成パーツにはOHとHがあるわけですが、この2つは言うまでもなく惹かれ合うわけです。

若い男女の駆け落ち的なあれですね。(ちょっと反応に困る感じの顔をしてたらごめんなさい)

この脱水反応には

  • 分子内脱水

  • 分子間脱水

があります。分子内脱水が同じクラスの中での恋愛だとしたら分子間脱水は隣のC組の渡辺さん・・・みたいな感じですね。

分子内脱水


アルコール分子内にはH分子とOH分子が隣り合っているわけです。こんなのドキドキしてしまいますよね。

いや、本当にドキドキするんですよ。

すごくドキドキするんですよ。

strongタグ芸はこの辺にして、真面目にHとOHがくっつく条件について書いていきます。

まず高温である必要があります。具体的に言うと160~170℃くらいです。

あと触媒が用いられますね。脱水反応ではお馴染み?の濃硫酸です。

図を見てもらえばわかりますが

H₂Oが脱離した結果、分子はアルケンになっています。不飽和になったということです。

分子間脱水

もう大体わかるのではないでしょうか。一つのアルコールのヒドロキシ基ともう一つのアルコールのHが惹かれ合って駆け落ちします。

これもまあ高温である必要がありますが、分子内脱水よりも低いエネルギーで反応を行うことができるので(理由はすぐ言います)130~140℃くらいで反応することができます。

分子間脱水のほうが低いエネルギーで反応できる、という理由なのですが、これは脱水反応の過程で何個結合を切って何個結合を結ぶか、という反応エネルギーのお話になってきます。

つまるところ分子内脱水のほうが大きなエネルギーを必要とするわけです。

今度詳しくまとめるかもしれません。その際は追記します。

分子間脱水の結果、エーテルという結合が生まれます。二人が駆け落ちした結果、Oが橋渡しして2つのクラスが団結した感じでしょうか。エーテルの性質に関しては

  • (アルコールと違って)沸点が低い

  • (アルコールと違って)水に溶けにくい

  • (アルコールと違って)金属と反応しない
    みたいな感じでしょうか。

    ん????????????????????


じゃあアルコールは金属と反応するってことか??????????????????


アルコキシドの生成

その通りです。筆者があまり覚えていないという理由で説明を後回しにしただけで、アルコールは金属(とくに陽性の強いもの)反応します。

普通に付加反応みたいな感じでくっつくだけなんですけどね。さっき陽性の強い金属と言いましたが具体的にいうとNaやKのことです。

この生成反応はアルコールの検出反応としても利用されています。アルコールは元々中性ですがアルコキシドは塩基性なのでNaやKと反応して塩基性を示したらアルコール確定、ということです。

かなり詳しくまとめたので4000文字を超えてしまいました。次回はアルデヒド・ケトンの話をできればな〜と思っています。

これから化学などの記事を投稿するかも

「自分で紙にまとめると定着する」というのは有名な勉強法ですが、個人的に長続きしないので ネットの集合知に寄与したいという中学時代からの思いもあり化学の話(ほとんどのソースは「化学の新研究」になりそうです)とか投稿したいと思います。家にいる間全然勉強できないので・・・こういうの書いて少しでも勉強に勤しみたいと思います。

凛として時雨が目の前に居た話。

忘れないうちにこのことを書きます。凛として時雨のライブを見ました。高松のオリーブホールっていう、多分かなり狭い部類に入るライブハウスで見ました。僕は前から3〜4列目だった気がします。TK側に行ったので目合いまくりました。

正直に感想を投げると、めちゃくちゃ高いリフレッシュレートのモニターで凛として時雨のライブ映像を見ているみたいな感じでした。結構ネット上の映像は見てきたので新鮮さがない。まあこういうアレンジよね、とかはだいたいわかる。そもそも狙い通りにミックスされた音を高いイヤホンを通して聞く体験と、今聞こえているのが耳鳴りなのかハウリングなのか区別がつかないレベルの爆音を出すことを優先した音響で聞く体験のどちらが理想の鑑賞に近いかなんていうのはわかりきった話なのだ。

それでも俺の足はガックガクだった。TKがこの世に実在することすら俺の中では不確かだった。画面の中のアイドルだったのだ。それが、目の前に居た。345は本当にライブ中に物販紹介をするのだ。そしてピエール中野は本当に早口の寒い(褒め)mcをするのだ・・・・竜巻旋風バンド・凛として時雨は、実在したのだ。その事実がただただ衝撃的だった。Super Sonic Aurorallyがセトリの中では一番好きだった。seacret cmのテンポチェンジやってくれたらそっちが一位だったかも。

化学の勉強が詰んでいる話とオチのない話

このブログを開設した時は高1の頭でしたが、もう高3になってしまいました〜〜 早いものですね

開設した頃といえば「イオン」という概念すら理解していなかったように記憶してる 昔から化学には絶妙に興味がわかないというか暗記モノ嫌いが出てしまう

学校の授業が無機を通り越してしまった。。。。何も正直理解していない GWまでにリードLightノート一周するはずが全く終わっていない かといって一日2時間!みたいなのは他教科に手が回らなくなる 終わった

現実的な勉強プランを考えるなら 6月中に全クリしたいですね・・・ 最近勉強サボってて物理もなにもしていないし今年の授業全然聞いてない 終わった〜〜

体育祭の準備が想像よりずっと楽しいんだよな 現実逃避的な意味合いも出来て楽しく感じているのかもしれない 体育会系のイベントの類には怨嗟しかない人間のはずなので・・・

夜にコーヒーを飲むのは罪悪感があるので最近は水でシャバシャバに薄めてグビグビいっている わけがわからない

最後にオチがない話して終わりますね。。昨日、量が多いラーメン屋に行ったんですよ。そしたら、やっぱり量が多かったです。

これ面白いと思うんだけどな。出オチすぎるし本当にオチがない・・・みたいな

かつて夢中になってた頃の記憶に縋り付いているだけ

痛々しい話です。

人の趣味は・・・変わる。変わらない趣味もある。でも大抵は変わる。

TKのファンクラブに毎月金を払っているが、俺は月に一回もそれを開かない。でも払うのをやめてしまったら愛がなくなったみたいで嫌だ。でも開かない。ライブの映像作品も何個か持っているし昔はfloweringのstudio liveとかも手に入れることを画策していた。でも今はもうその情熱がない。アコエレのライブ盤を手に入れても大して聞かない。その程度の愛になってしまったのだ。陶酔していた時期、毎晩ライブ映像を見て恍惚としていた時期にはもう戻れない。もう戻れないのだ。きっと。

それでも俺は「凛として時雨が好きな自分」を保っていたいのでチケットを取る。ギターの電装系もTKシグネチャーと同じものにする。凛として時雨が書籍・webメディアで言及される度に内側で喜々としている。瞬間最大風速を完全に失ったのにも関わらずだ。

一生涯めちゃくちゃ傾倒した音楽だけを聞いて過ごせるわけがないのに、僕は凛として時雨から離れられない。離れたら外界の他の人間、フツーの音楽を聞いている(この表現が既に痛々しい)連中と同じになってしまうと思い込んでいる。変な音楽を聴くことをアイデンティティにしてしまった。自分自身が社会に馴染めない、馴染む努力をすることが苦痛になったことと、凛として時雨を重ねてしまった。そうやって逆張りを繰り返してしまった。でもその逆張りすら飽きてしまった。

もうjust A momentを毎日聞くことに喜びが見いだせない。floweringで泣けない。それなのにそこから離れられない。好きになる努力をする気力もないのに。

新しいアルバムが出る。殆どシングル曲の寄せ集めではあるが。ネットではこれに対してネガティブな意見もたくさん出ている。#5という前例があるせいか。自分も半ば失望した。今日の今日まで予約していなかったせいで買うことそのものに迷いが生まれてしまった。こんなんで何が信者なのだ。全然愛せていないじゃないか・・・・

やめよう ドライフラワーに水をあげるのは