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書いては消したり 

愛されたいが愛される要素がない 愛したいが愛せる要素がない

例えばオタクであることをアピールして喜ばれる人になりたい。「ゴジラ対メガロガイガンがくそ雑に登場するところが好き」とかツイートして、いいねを貰いたい。貰える人になりたい。

自分が人生を費やしてきたものを褒めてもらいたい。それに尽きるのだ、俺の願望は。音楽だろうがオタクアピールだろうが関係ない。俺の心臓はそれだったのか。今や何一つ生み出せない無産そのものだというのに。なにか生み出したって大した評価を得たこともなかったのに。多分愛されたいのだ今でも。

人の評価のためになにかをすることが嫌いだ。自分の殻に籠もって誰も喜ばない音楽だけ作れたら何者にも傷つけられずに済んだだろう・・・

それと同時に人に評価されることを潜在的に望んでいるし第一、この世のすべての音楽を俺が作ったのではない限り、人の音楽と自分の音楽を比べてしまうのは避けられないだろう。他者の作ったものを真似ることから全ての創作が始まっている以上他者の居ない世界で創作は成立し得ない。矛盾しているのだ、俺が望んでいることは。自分の作るもの全てが他者からべた褒めされない限り、妄想は実現しない

ならどうすれば俺は俺のしたい創作ができる。一つは経済的な自立を得、誰の評価も気にする必要がない次元に行くというやり方だ。自分の資本は他にある、作品が誰にも褒められなくても平気という考え方、逃げ方だ。もっともそこまで行けば皆お世辞を言うようになるとは思うが。

二つ目は、徹底的にトレンドを研究し、褒められる作品だけを作る。褒められる作品を作ることだけが俺の悦びなのだ・・・というパターン。これが出来たら悩んでない。メンタルぶち折れの日々。強靭なメンタルと狂人並の承認欲求を必要とする。別に韻を踏みたかったわけではない。

どちらも難しいし結局俺の欲求を完全に満たしてくれるものではないのだろうな、となんとなく思う。俺のスタンスを変えるしかないのかもしれない。第一「人の評価のためになにかをすることが嫌い」だなんて逆張りだ。人間には承認欲求があるのだ。そして自分にもあると、日々実感している。相反した感情、チックなことを言いたいだけで本当は愛されたいだけなのだ。

でもどうすれば愛されるのか分からないのだ。それは俺自身の他者への愛が曖昧すぎて、自分の愛の形を理解できてないからなのだろう。自分を愛したかったら他者を愛さないといけない。

それと同時に俺は俺自身を愛さないといけない。己の作品への肯定感が低すぎる。だから禄に他者の作品を見ることもできない。怖いのだろうか。

怖い。自分自身が否定されたような気分になる。これが解消されない限り俺は前に進めない気がする。





書いてたらめちゃくちゃ惨めだし飽きたのでガンプラ作りながら寝ます シナンジュスタインはかっこいいぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜