雑更新ブログ

書いては消したり 

かつて夢中になってた頃の記憶に縋り付いているだけ

痛々しい話です。

人の趣味は・・・変わる。変わらない趣味もある。でも大抵は変わる。

TKのファンクラブに毎月金を払っているが、俺は月に一回もそれを開かない。でも払うのをやめてしまったら愛がなくなったみたいで嫌だ。でも開かない。ライブの映像作品も何個か持っているし昔はfloweringのstudio liveとかも手に入れることを画策していた。でも今はもうその情熱がない。アコエレのライブ盤を手に入れても大して聞かない。その程度の愛になってしまったのだ。陶酔していた時期、毎晩ライブ映像を見て恍惚としていた時期にはもう戻れない。もう戻れないのだ。きっと。

それでも俺は「凛として時雨が好きな自分」を保っていたいのでチケットを取る。ギターの電装系もTKシグネチャーと同じものにする。凛として時雨が書籍・webメディアで言及される度に内側で喜々としている。瞬間最大風速を完全に失ったのにも関わらずだ。

一生涯めちゃくちゃ傾倒した音楽だけを聞いて過ごせるわけがないのに、僕は凛として時雨から離れられない。離れたら外界の他の人間、フツーの音楽を聞いている(この表現が既に痛々しい)連中と同じになってしまうと思い込んでいる。変な音楽を聴くことをアイデンティティにしてしまった。自分自身が社会に馴染めない、馴染む努力をすることが苦痛になったことと、凛として時雨を重ねてしまった。そうやって逆張りを繰り返してしまった。でもその逆張りすら飽きてしまった。

もうjust A momentを毎日聞くことに喜びが見いだせない。floweringで泣けない。それなのにそこから離れられない。好きになる努力をする気力もないのに。

新しいアルバムが出る。殆どシングル曲の寄せ集めではあるが。ネットではこれに対してネガティブな意見もたくさん出ている。#5という前例があるせいか。自分も半ば失望した。今日の今日まで予約していなかったせいで買うことそのものに迷いが生まれてしまった。こんなんで何が信者なのだ。全然愛せていないじゃないか・・・・

やめよう ドライフラワーに水をあげるのは